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東京地方裁判所 平成元年(ワ)6567号 判決 1991年3月25日

原告

甲野太郎

被告

右代表者法務大臣

左藤恵

右指定代理人

伊藤正高

外四名

主文

一  被告は、原告に対し、金五万円及びこれに対する平成元年五月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その五を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、三〇万円及びこれに対する平成元年五月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、未決勾留中の原告が新聞雑誌等に掲載するため発送を申し出た創作原稿の一部につき、東京拘置所職員のした抹消の指示が違法であるとして、国家賠償法一条一項に基づき慰謝料の支払を請求している事案である。

一争いのない事実等

1  当事者

(一) 原告は、昭和五九年一二月一四日に強盗殺人罪及び死体遺棄罪で、同六〇年一月一〇日に強盗殺人罪、死体遺棄罪並びに有印私文書偽造罪、同行使罪及び詐欺罪でそれぞれ起訴され、同年二月一八日から未決勾留者として東京拘置所(以下「拘置所」という。)に在監中の者である。

原告は、右各被告事件について、同六二年一〇月三〇日に東京地方裁判所で死刑判決、平成元年三月三一日に東京高等裁判所で控訴棄却判決をそれぞれ受け、同年四月三日付で上告を申し立てた。

(二) 被告は、拘置所長又は拘置所職員が、公権力の行使に当たり、私人に対し違法に損害を与えた場合には、賠償責任を負う者である。

2  原告が発送を申し出た創作原稿に対する拘置所職員による抹消の働きかけ

(一) 第一回目

(1) 原告は、平成元年四月二五日、拘置所長に対し、「甲野太郎→江副浩正<一方的書簡>第二信」と題する創作原稿二七枚(以下「本件原稿(一)」という。)を、新聞雑誌等に掲載するため、同人の右刑事事件の弁護人である小室恒弁護士宛に発送を申し出た。

(2) 拘置所保安課書信係(以下「書信係」という。)は、本件原稿(一)中の別紙抹消箇所一覧表(その1)記載の四三箇所について、不適当として原告に抹消するよう働きかけることを決め、同年五月一日、担当処遇区の係長から原告に対し、右箇所を抹消するよう働きかけた。

(3) 原告は、右働きかけに応じて本件原稿(一)中の右四三箇所を抹消した上、同月一〇日、抹消後の原稿(<証拠>)の発送を申し出て、許可された。

(二) 第二回目

(1) 原告は、平成元年五月八日、拘置所長に対し、「甲野太郎→江副浩正<一方的書簡>第一信から第五信」と題する創作原稿二〇〇枚(以下「本件原稿(二)」という。)を、新聞雑誌等に掲載するため、出版社「彩流社」の編集者茂山和也宛に発送を申し出た。

(2) 書信係は、本件原稿(二)中の別紙抹消箇所一覧表(その2)記載の七箇所を不適当として原告に抹消するよう働きかけることを決め、担当処遇区の係長から原告に対し、右箇所を抹消するよう働きかけた(以下、前記(一)(2)の四三箇所の抹消指摘部分と右(二)(2)の七箇所の抹消指摘部分を併せて「本件指摘部分」という。)。

(3) 原告は、右働きかけに応じて本件原稿(二)中の右七箇所を抹消した上、同月一七日、抹消後の原稿の発送を申し出て、許可された(<証拠>)。

二争点

1  前記各抹消の働きかけはいわゆる「公権力の行使」に該当するか。

2  原告がした右抹消は、任意になされたものか。

3  右抹消の働きかけが「公権力の行使」に該当し、かつ、原告による右抹消が任意になされたとは認められない場合、右抹消の働きかけは違法か。

4  右抹消の働きかけが違法である場合、拘置所職員に故意又は過失があるか。

5  原告が被った精神的損害の額

第三争点に対する判断

一拘置所職員のした本件抹消の働きかけはいわゆる「公権力の行使」に該当するか(争点1関係)。

1(一)  拘置所に在監中の未決勾留者から新聞雑誌等に掲載するため、原稿発送の申し出がされたときは、発信申し出のあった信書の場合と同様に、当該未決勾留者を収容している舎房の担当職員が、自己の所属する保安課処遇区の事務室に右原稿を回付する。そして右処遇区の係長及び区長が右原稿を一読した上、検閲を主たる業務とする書信係に回付し、同係において右原稿の内容を検閲する。その後、右原稿の発送の許否につき、その権限を有する幹部職員の決裁を経て、発送される。

(二)  右検閲及び発送の許可は、「未決拘禁者の著作について」と題する昭和二九年一二月二四日矯正甲第一二六三号矯正局長通牒(以下「局長通達」という。)により、信書に対する場合と同様に、「刑事被告人の発する信書について」と題する昭和二六年九月二七日矯保甲第一二九二号刑政長官通牒(以下「刑政長官通達」という。)に基づき、未決勾留の本質に反する内容をもつものの他、概ね、

(1) 原稿の検閲によって、その原稿が犯罪を構成するものと認められる場合には、本人にこの旨を伝え自発的に発送を止めさせて、これを領置する、

(2) 右(1)の措置に対して、本人がなおこれを不当として発送を主張して譲らないときは、犯罪構成容疑の原稿として検察官に連絡して、裁判官の差押令状により差押の措置をとる、

(3) 原稿の内容が拘置所の管理運営上発送を適当としないものについては、拘置所長の意見により、本人の意思の如何に拘わらずその部分を抹消することができる、

という基準でなされている。

(三)  なお、拘置所の通常の取扱いとしては、書信係における検閲の際、当該原稿中に犯罪を構成することが明らかな記載や建築物の配置状況、警備状況といった拘置所の管理運営上支障をきたすことが明らかな記載があった場合には、直ちに発送の許否についての決裁権限を有する幹部職員の決裁を経ることはせず、原稿を一旦処遇区に返戻し、処遇区の係長か区長をして本人に対し、当該部分を抹消し、又は書き直すよう働きかけている。

(四)  しかしながら、右働きかけに当該未決勾留者が応じない場合には、刑政長官通達に従い、その発送を不適当とした理由に応じて、それぞれの処置をとる。拘置所の管理運営上の支障を理由とするものについては、決裁権限を有する幹部職員によりあらためて決裁がなされ、不適当な部分を抹消した上で発送される(<証拠>、弁論の全趣旨)。

(五)  書信係は、本件原稿を検閲した結果、本件指摘部分は拘置所の管理運営上発送を適当としないもので、直ちに決裁を求めることはせず、一旦担当処遇区の係長等をして原告に抹消の働きかけをするのが相当であると判断した上、原告に対し、抹消の働きかけをした。

(六)  原告は、担当処遇区の係長から二度にわたり本件抹消の働きかけを受けた際、その都度係長に対しその理由を質問したが、回答は得られなかった。しかし原告は、これに応じなければ拘置所側で本件指摘部分を抹消することがあることを知っていたため、やむなく抹消に応じた(<証拠>、弁論の全趣旨、前記争いのない事実)。

2  右認定の事実に基づき、原告に対してなされた本件抹消の働きかけが国家賠償法一条一項所定の「公権力の行使」に該当するかどうかにつき判断する。

一般に、未決勾留者の任意行為を期待して行われる拘置所側の行為は、それ自体としては当該未決勾留者に対して直接に何らかの法的義務を負わせるものとまでは解することはできないが、他方、本件抹消の働きかけのようにそれが法令上の根拠を背景にしてなされる場合には、未決勾留者がこれに従わなければ法令に基づく強制処分に移行することができるので、その働きかけに当該未決勾留者は従わざるを得ないから、そのような働きかけは国家賠償法一条一項所定の「公権力の行使」に該当するものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、本件抹消の働きかけは、これに原告が応じない場合には、抹消につき決裁権限を有する拘置所幹部職員の決裁の手続に移行し、拘置所の管理運営上発送が不適当と認められた部分については抹消されることが予定されており、いわば抹消処分の前段階としてなされたものであること、原告においても、これを拒否した場合には拘置所側で抹消することを予想し、やむを得ず右働きかけに従ったものであることからすれば、書信係における発送不適当との認定が後の決裁の段階でくつがえることがしばしばあり、原告もこれを知っていたこと等の特段の事情の存在が認められない以上、拘置所職員による本件抹消の働きかけは、「公権力の行使」に該当すると解さざるを得ない。

なお、被告は、本件抹消の働きかけは任意による抹消又は書き直しを慫慂したにすぎない旨主張するが、右の事実関係の下においては慫慂であっても公権力の行使に該当すると言うべきである(以下、本件における原告に対しなされた原稿の一部抹消の働きかけを「本件抹消指示」という。)。

二原告による抹消は任意になされたものか(争点2関係)。

前記一1(六)に認定した事実に、原告は第二回目の本件抹消指示に応じて抹消した本件原稿(二)を提出した数日後である平成元年五月二三日には、本件抹消指示を違法とする本訴を提起したこと(当裁判所に顕著)からすれば、原告が任意に本件抹消指示に応じて本件指摘部分を抹消したとは到底認めることはできない。

三本件抹消指示の違法性の有無(争点3関係)

1  拘置所職員が本件抹消指示をした理由は本件原稿中の本件指摘部分が拘置所の管理運営上発送を不適当と認めたためであることは、前記認定のとおりであり、被告も本件抹消指示が違法性を有しないことの理由として同様の主張をするから、以下に、未決勾留者が発送を申し出た著作物原稿に対する拘置所の管理運営上の必要を理由とする制限の点に限定して検討する。

2  未決勾留者が発送を申し出た著作物原稿に対する拘置所の管理運営上の必要を理由とする制限の合憲性及びその認定基準

(一) およそ各人が、自己の意見その他内心の意思活動の結果を著作物として外部に公表することは、個人の人格の形成発展にとって有益である他、ひいては民主主義社会の維持発展にも極めて重要な意義をもつものであって、右行為が憲法二一条で保障された表現の自由の範囲内に属するものであることは論をまたない。この自由は、未決勾留者として拘置所に拘禁されている者においても、当然に排除されるものではない。

しかしながら、未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものであって、右の勾留により拘禁された者は、その限度で身体的行動の自由を制限されるのみならず、前記逃亡又は罪証隠滅の防止の目的のために必要かつ合理的な範囲において、それ以外の行為の自由をも制限されることを免れないのであり、このことは、未決勾留そのものの予定するところでもある。また、監獄は、多数の被拘禁者を外部から隔離して収容する施設であり、右施設内でこれらの者を集団として管理するに当たっては、内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する必要があるから、この目的のために必要がある場合には、未決勾留によって拘禁された者についても、この面からその者の身体的自由及びその他の行為の自由に一定の制限が加えられることは、やむを得ないところというべきである(最高裁昭和四〇年(オ)第一四二五号同四五年九月一六日大法廷判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁、昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁)。

(二)  ただ、未決勾留は、前記刑事司法上の目的のために必要やむを得ない措置として一定の範囲で個人の自由を拘束するものであり、他方、これにより拘禁される者は、当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障されるべき者であるから、監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の著作物原稿の発送の自由を制限する場合においても、それは、右目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきものである。従って、右の制限が許されるためには、当該発送を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該原稿の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その発送を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右制限の程度は、右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である(前記昭和五八年六月二二日大法廷判決参照)。

(三) ところで、監獄法五〇条は信書の検閲その他信書に関する制限は命令で定める旨規定し、同法施行規則一三〇条は未決勾留者の発受する信書は所長が検閲することを定めているが、右法令上には未決勾留者の発する著作物原稿に対する制限を定めた明文の規定はない。

しかしながら、表現の自由、検閲の禁止に関する憲法上の保障の面から見れば、未決勾留者の意思活動の表現形式としての文書を、信書と著作物原稿とに区別して両者の取扱を別異にすべき理由はないから、監獄法及び同法施行規則の解釈においては、未決勾留者の発する著作物原稿は同法所定の信書の発信に含まれると解するのが相当である。局長通達は未決勾留者が新聞雑誌等に掲載する目的で著作物原稿の発送を申し出た場合につきこの趣旨を明らかにしたものと言うべきである。

また、監獄法施行規則一三〇条所定の検閲とは、あらかじめ形式内容を点検審査しその内容を了知することを意味するにすぎず、発受禁止処分まで含む概念とは解し得ない。しかしながら、そのゆえに、監獄法及び同法施行規則が未決勾留者の発する信書及び著作物原稿に対する制限として右のような意味内容を持つ検閲のみしか認めていないと解すべきではなく、未決勾留制度の目的や多数の収容者を集団として管理するための監獄内の規律及び秩序を維持する必要上、信書及び著作物原稿の内容を事前に了知し予想される障害への対策を講ずるだけでは右目的の達成を阻害するような支障の発生を避け得ないと認めるときは、右障害発生の防止のために必要かつ合理的な限度で信書発受及び著作物原稿の発送の制限をなすことを容認、予定していると解するのが相当である。従って、前記の局長通達、刑政長官通達に基づく未決勾留者が発送を申し出た著作物原稿に対する制限は、右通達が前記判示の趣旨に従って運用される限りは、何ら違法、違憲の問題を生じないと解すべきである。

(四) そして、具体的場合における右通達の適用に当たり、当該原稿の発送を許すことによって監獄内における規律及び秩序の維持に放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が存するかどうか、及び、これを防止するためにどのような内容、程度の制限措置が必要と認められるかについては、監獄内の実情に通暁し、直接その衝にあたる監獄の長による個個の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断にまつべき点が少なくないから、障害発生の相当の蓋然性があるとした長の認定に合理的な根拠があり、その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、長の右措置は適法として是認されるべきものと解するのが相当である(前記最高裁昭和五八年六月二二日大法廷判決参照)。

なお、本件抹消指示は長あるいは決裁権限のある者のなす抹消処分の前段階として書信係の認定によりなされたものではあるが、右合理性の判断に当たっては、本件指摘部分につき拘置所長による抹消処分がなされた場合と同様の基準により検討するのが相当である。

3  本件指摘部分につき抹消が必要であるとの判断は合理性を有するか。

(一) 被告は、「本件原稿が書籍として発刊され、その被記述者である江副がこれを読んだ場合、面会、医務診療等で原告と対面したときに江副が原告に対し突発的行動に出ることが予測される。拘置所はこの不測の事態を避けるため、両名が会うことのないよう措置することが必要になり、被拘禁者の警備・処遇を担当する保安課監督職員はもとより、被拘禁者の処遇を担当している舎房勤務職員、面会立会職員等の各係多数にこの事情を熟知させることが必要になるが、一八〇〇名程度を収容している拘置所ではこのことは極めて困難である。」旨主張する。

なるほど本件原稿が発送されれば新聞雑誌等に掲載され、江副がその内容を知る場合があること、この場合、本件指摘部分には江副自身の一般には公表されたくない拘置所内での生活・行状・容姿・健康状態等に関する記載があることから、江副が原告に対し不快の念を抱く場合があること、一般に被拘禁者には被害感情が増幅される傾向があることは想像に難くないところである。

しかし、江副は財界に名をなした人物であり、その未決勾留されるに至った罪名もいわゆる粗暴犯とは全く関係がないこと(顕著な事実)、本件指摘部分には同人が不快の念を抱く可能性のある部分も存在してはいるが、殊更に同人を誹謗中傷する内容ではないこと、江副は原告とは面識がなく、従って同人を識別できないこと(原告)、また、原告が本件抹消指示以前の平成元年四月三日ころに産経新聞解説委員宍倉正弘宛に発送許可を得て発送した「甲野太郎→江副浩正<一方的書簡>」と題する創作原稿二三枚(<証拠>、以下「『一方的書簡』」という。)中には本件指摘部分と大同小異の記載があるところ、右原稿の一部は既に同月二五日に「夕刊フジ」及び「産経新聞」紙上で公表されており(<証拠>、弁論の全趣旨)、拘置所職員としては第一回目の本件抹消指示をした同年五月一日の時点では、右新聞の記載を江副が了知する可能性のあることを予測できたこと、従って、被告が主張している不測の事態を避けるため両名が会うことのないようにする措置というのは、真実それが必要であれば、本件抹消指示をすると否とにかかわりなく、『一方的書簡』が公表された以上どのみち講じなければならないはずの措置であったこと、更に、『一方的書簡』は同年六月一日付の雑誌「月間政界SEIKAI」七月号にその全文が掲載されたが(<証拠>)、その後拘置所が被告の主張する不測の事態を避けるための措置をとり、そのため業務に重大な支障が生じたことを認めるに足りる的確な証拠はない(右措置が不十分であったため不測の事態が発生したとの証拠のないことももちろんである)。

以上の事実を総合すると、被告の主張する突発的事態が発生する可能性は単に抽象的に存在するにすぎないものであったばかりでなく、それを回避するため拘置所側がなすべき措置もあらかじめ本件指摘部分を抹消するのでなければその規律及び秩序の維持を害するような支障が発生することを避け得ないものであったと判断することはできないから、右理由による本件抹消指示には合理的根拠があったとは到底認めることはできない。

(二) 次に被告は、「本件原稿がそのまま公表されると、江副やその家族が、身柄を保持している拘置所が接見禁止により一般社会人への防御力を失っている江副に対し、殊更に加害の意図を持って発送を許可したものと誤信し、拘置所に不信感を抱いて事務手続等の円滑な処置を損ねる。」旨主張する。

なるほど本件原稿が発送されれば新聞雑誌等に掲載され、江副やその家族がその内容を知る場合があること、この場合、江副やその家族が拘置所に対し不信の念を抱く場合もないわけではないことは想像に難くないところである。

しかし、そうであるとしても、江副の社会的地位等に照らせば、同人やその家族が拘置所の事務手続等を殊更に害する言動に及ぶとは直ちに認められないばかりでなく、それを疑わせるべき事実が存在したことの立証もない。また、前述のとおり『一方的書簡』が既に公表されたにもかかわらず、これによって実際に江副あるいはその家族が拘置所の事務手続等の円滑な処理を害する言動をしたとか、拘置所側が同人らの誤解を解くためその管理運営上多大な支障を生じたとの証拠もない。

してみると、右理由に基づく本件抹消指示も合理的根拠があったとは到底認めることはできない。

(三) また被告は、「本件原稿がそのまま公表されると、一般人が本件指摘部分がそのまま真実であると誤解し、勾留の目的から当然に要請される拘置所における被収容者相互間の厳格な分離といった管理方法等に対するいわれのない不信感、非難等が生じ、ひいては拘置所の正常な管理運営に著しい支障を生じる。」旨主張する。

しかし、仮に被告主張のように一般人にいわれのない不信感、非難等が生じるとしても、これらは拘置所内の規律及び秩序の維持とは直接関係のない事柄であり、それがなぜに拘置所の正常な管理運営自体に著しい支障を生じさせると判断したのか明らかでない。

従って、右理由に基づく本件抹消指示も合理的根拠があったとは到底認めることはできない。

(四) 更に被告は、「本件原稿の被記述者である江副につき、何らの理由なく、かつ、事前に防ぐ術のないまま一方的にその容姿等が興味本位で社会一般に知られるといった同人の名誉保全上からの支障がある。」旨主張する。

しかし、仮に被告主張のように江副自身の名誉保全上問題が生じるとしても、このこと自体は拘置所内の規律及び秩序の維持とは直接関係のない事柄であるから、この点を理由とする本件抹消指示も合理的根拠があったとは認めることはできない。

(五)  以上のとおり、本件抹消指示は、それを必要とする合理的根拠があったとは認められないから、裁量権の逸脱又は濫用として違法であると判断せざるを得ない。

四拘置所職員の故意又は過失の有無(争点4関係)

拘置所職員は、未決勾留者が発送を申し出た著作物原稿に対して、監獄内の規律及び秩序の維持を理由に抹消指示をする場合には、拘置所長が抹消処分をする場合と同様に、これをそのまま公表すれば監獄内の規律及び秩序の維持に放置することのできない重大な支障が発生する相当の蓋然性があることを合理的根拠に基づいて認定すべき注意義務があると解される。

しかるに、本件においては、右職務に当たる拘置所職員が合理的根拠に基づくことなく本件抹消指示をしたことは前記認定のとおりであるから、拘置所職員には、その職務を行うについて、右注意義務を怠った過失があると言うべきである。

五原告の損害(争点5関係)

本件抹消指示の態様、本件指摘部分の内容、その個数、本件原稿の性質その他諸般の事情を考慮すると、原告の被った精神的損害は、五万円と算定するのが相当である。

(裁判長裁判官北山元章 裁判官畑中芳子 裁判官長野勝也)

別紙<省略>

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